『窓をあけて……』

lost smile ―スズ―

 前のことは、知らない。
 私が知っているのは、哀花さんが私の隣の病室にはいってきたことだけ。

 私は、この施設の壁しか知らない。
 いろいろな人が、私の前を去っていった。
 ここには、人の死が日常として存在している。
 それは、私にも言えること。
 夜、眠るのが怖かった。
 哀花さんに出会うまでは。

 『初めまして、檸檬哀花(れもん・あいか)です』

 それは、新鮮な驚きだった。
 ここに来る人は、皆、あきらめきった眼をしている。
 哀花さんは、違っていた。

 『五月女砂鈴(さおとめ・すず)さん? 大先輩ですね』

 車いすに座る哀花さんはひどい姿だった。
 片腕、片脚。
 大きな事故にあって、ご両親を亡くされたと聞いた。

 『あ、ごめんなさい。こんなところで大先輩だなんて』

 笑顔、だった。
 この人は、勁い。
 なんて勁いんだろう。

 『色々、教えて欲しいと思って。同じ年代の女の子って、他にいないみたいだから』

 笑えるなんて。
 まだ、笑えるなんて。

 テレビで、こんな曲が流れていた。
 ♪明日がある 明日がある 明日があるさ〜
 でも、私には。
 この施設で過ごす全ての人には、明日は約束されていない。
 もちろん、哀花さんにも。
 ここにくるのは、そういうことだから。
 だから、哀花さんの笑顔は、衝撃だった。
 死への順番待ちをする列の中での、笑顔は。

 いつからか、哀花さんの笑顔を見るのが好きになっていた。
 そして、私も、生まれて初めて、心の底から笑うことができた。
 驚いた。

 だけど、それが嬉しくて、嬉しいと思った自分に、また、驚いた。

 前のことは、知らない。
 私が知っているのは、哀花さんが私の隣の病室にはいってきたことだけ。
 私の大好きな、哀花さんが、隣にいるということだけ。
 哀花さんの出会った事故さえ、私にとっては…………。


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2002/02/23
修正 2003/04/06